創業時の思い

なにより地震に強い事
なにより地震に強い事
40年位前までさかのぼります。創業者<宮崎豊太郎>は会社を立ち上げる以前に、工務店で営業職をしておりました。その時代は高度経済成長を背景に、借家住まいから「夢のマイホーム」を取得する人達がどんどん増えていった時代、つまり個人住宅に対する信頼性がより問われる時代になっていきました。

宮崎は雪深い青森県の出身でした。関東に来てその建設されていく建物を見ているうちに、ある疑問が沸きあがってきました。「関東と雪国ではいくら地域が違うとはいえ、こんな脆弱そうな家で大丈夫なのか?」と…。
そしてその当時は、特に大きな地震が頻発した時期でもありました。

1968年5月 十勝沖地震(M7.9)
1969年8月 北海道東方沖地震(M7.8)
1973年6月 根室半島沖地震(M7.4)
1974年5月 伊豆半島沖地震(M6.9 死者29人 全半壊家屋374戸)

その現状を目の当たりにして、宮崎は「従来通りの考えでは不十分だ」「生活の基盤である家が脆弱ではだめだ」「日本の住宅はとにかく強靭でなければならない」と建築に携わる者として痛感しました。

そして、当時はまだ家を建てるといえば、知り合いの大工さんにお任せか、大工さんを経験した工務店に頼むのが一般的な時代でしたが、その体制にも限界を感じ、建築を一から勉強しなおし、試行錯誤の末一念発起して、お客様と大工・各職人との架け橋となり、設計から施工、管理まで一貫した立場として「家創り・注文住宅」を行う会社として、1976年当社を起業する事となりました。
企業理念
宮崎が創業時から、事あるごとに言っていた言葉があります。
「1に建物、2にお客様」
これはお客様を蔑ろにしている訳ではありません。「建物に対して常に正直に取り組む」という事を表しています。たとえお客様のご要望でも、建物に良くない事や、構造的に疑問が残るような工事は、絶対にやらないという事です。その時は、費用が掛かる事もあったでしょうが、構造に係わる事に関しては、材料も手間も一切惜しまないという「建物に対する約束」でもありました。今ではめずらしい事ではありませんが、全て四寸角(約12㎝角)の柱を使う事や、基礎をベタ基礎と呼ばれる、土台の下だけでなく、建物の下全面にコンクリートを打設する方法に、木造住宅建築としていち早く取り組んできました。
創業からの「強靭な家」への思い入れは、今なお根底に流れ続けており、お客様から「宮崎に任せておけば安心」とおっしゃって頂く事も多く、当社実施のアンケートでは、新築・リフォームのお客様を含め、93.4%のお客様が、不安を感じず「安心して任せる事が出来た」とお答え頂きました。今後もこの数字が100%に近づくように精進していきます。
知識や経験の裏づけ
最近ではリフォーム工事専門の業者さんや、量産ハウスメーカー等では新築だけやって、リフォームは別会社で、なんていう事も多いようですが、当社では新築工事もリフォーム工事も行います。つまり「住宅専業」です。お客様の手を煩わせるような事がないように、常々「住まいに関する窓口」でありたいと考えております。

新築、リフォームと一口に言っても、それぞれノウハウがあり、特にリフォーム工事では、多くの工法やどの年代に建てられたかによって建物は千差万別であり、より広い知識と経験が必要とされます。そして、当社は木造工事だけでなく、S造(鉄骨構造)やRC(コンクリート造)の工事も行ってきました。そこから得たものが、また新しい新築工事やリフォーム工事に反映されていきます。この姿勢で地元で約40年やってこれた事に対して、我々はお客様に対して深い感謝と自負をもっております。

ちなみに、当社は量産ハウスメーカー等の下請け工事や、建売販売は行っておりません。
「お客様の顔が見える仕事がしたい」という事と、ハウスメーカーの安心感・工法等は素晴らしいものがありますが、実際の知識や経験の裏づけ イメージ現場や工程を見てみると、疑問を感じる部分が少なくないからです。
(もちろん、全てがそうだとは言いませんし、本当に素晴らしい企業もあります)責任が重大だからこそ「やりがい」があり、大きな達成感がある。
少人数の会社ゆえに、スタッフ全員お客様の顔が浮かぶからこそ「絶対に下手な事はできない」という強い信念を持って、注文住宅にこだわり「自社責任設計・施工」を今後も守っていきたいと考えております。
(右写真は、柏市法林寺苦抜門移築工事)

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